“次世代に繋ぐ横丁”で、新たなにぎわいの場を生み出す浜倉好宣が見渡す渋谷
「恵比寿横丁」に始まり、今やさまざまな形態の飲食事業をもって、“たまり場”を創造し続ける浜倉的商店製作所。その代表でプロデューサーである浜倉好宣さんが運営している、MIYASHITA PARKの1階に大きく横たわる『渋谷横丁』は、どういう構想をもってスタートさせたのでしょう。めくるめく変わってゆく渋谷の街で、この渋谷横丁が次なる世代へと繋いでいきたいものとは……!?
渋谷の街の中でハシゴをしたくなるような
最初の集会所の役割になる場所にしていきたい
「毎日がフェス!」をキーワードに、全長100mにも及ぶ大型店舗で、体感型エンターテインメントを味わうことができる渋谷横丁。最先端な街と、ふるきよき情緒に満ちた飲み屋街の雰囲気はどう共存していくのか。独自の感性で多くのヒット店舗を生み出してきた浜倉さんならではの視点から、渋谷の街をひもといていきます。
―恵比寿横丁をはじめ、浜倉的商店製作所ではさまざまな飲食事業を手掛けられていますが、全体として掲げているコンセプトについて教えてください。
ホームページの冒頭にもありますが、「たまり場をつくる」ということを掲げております。飲食ってレジャーの中で一番身近なものだと思うんです。今はなんでも豊富な時代なので、逆にコミュニティーをつくれる場所がなかなかない。これを15年ほど前から思っていました。もうひとつは昔ながらの良い文化が衰退していっている。それを繋いでいこうという考えから、このコンセプトはずっと変えていません。場所を与えられたら、どういった人が集まるかな、ということを考えて未完成のものから徐々にマーケットに沿ってつくり上げていきます。
―食材やお料理に関してももちろんこだわられていると思いますが、料理というよりも“場所”をメインに考えていっらしゃるのでしょうか?
そうですね。最初は産地に行って魚屋さんの再生などをやっていたんです。当時は築地の仲卸の方が街場に出てみたいとか、漁協の方から仕入れてもらえないかなどの相談も受けていて、そこから連動する業態をつくるとつくったところ、生産者の方からも依頼が来たりするようになったんです。そうなると産地のものがどんどん集まって、アンテナショップはたくさんあるんだけど、食べるところがないといった状態に。そのタイミングで有楽町から横丁をやりませんかという依頼を受けたので、有楽町に産地直送の横丁をオープンさせました。
―そうなんですね。そう聞くと施設ごとにオープンさせる意味合いが違うと思いますが、渋谷横丁はどういった構想で始められたのですか?
当初は、商業施設でこの規模のものができるとは思っていなかったんですね。恵比寿横丁をここで作れないか? とのお話に、最初は冗談を言われてるのかと思っていました(笑)。いろんな横丁をつくってはいますけど、恵比寿横丁は小さいお店の再生版としてスタートしました。恵比寿横丁の規模であれば、個性のある飲食店を集めてメニュー分けをし、長屋で一緒にできるのでやりませんか? というのが最初だったんです。
昔の横丁のイメージって、飲んだくれたダメなオヤジがいるというイメージがあり……(笑)。なので若い人たちが入れるようにならなければいけないと思って恵比寿横丁を始めたんです。そして有楽町もできたあとに、このMIYASHITA PARKのお話をいただきました。横丁って夜中型なんですよね。だから商業施設として営業時間制限を設けられると厳しいのですが、その点も理解していただけました。
渋谷と原宿の通り道になっていたこともあって、渋谷の中でも109側ではなくてMIYASHITA PARK側に集まる場所は少なかったんです。その場所にいったん入ってしまうと逃げられないというか(笑)。
商業施設というのは、計画されてA区画、B区画とつくられてしまったあとに各々テナント店舗が入るんですが、それだとこの渋谷横丁みたいな通路のにぎわいの一体感を表現できないと思いました。その点も理解していただいて、建築前のゾーニングプランから一緒に計画させていただいたのが現実になりました。
でもこの規模になると、恵比寿横丁のように小さいお店での対面の雰囲気を出すことができない。そこで若い人がもっと来やすくて、いろんなものの集合で成り立つテーマを決めなければなりませんでした。そこで我々は食材も日本各地から集めることができたので、「日本全国を食べられる」というテーマを設けて店舗を考えました。全国のB級グルメを堪能できて、全国のお祭りの雰囲気も感じられる店舗。そうなると、イベントも全体で行わなければならない。だからテナントではなく、一体型の横丁を考えたんです。あとはテーマパーク的な要素を入れて人を集めたほうが渋谷という街にもフィットしやすいんじゃないかと思いました。行くと誰かに会える場づくりを目指しましたね。
―行くと誰かに会える、というのは恵比寿横丁にも通じるテーマですよね。
このMIYASHITA PARKをはじめ、渋谷には新しい商業施設がたくさん建ち並んでいます。都市開発が進む中で渋谷横丁が担う役割をどう考えられますか?
そんな大層なことはできないですけど(笑)、新しいビルがどんどん建つ中で、ここは路面店。ビルできれいなところがどんどんとできる中で、路面のベタ臭いところに行くと落ち着く、そんな役割の場にしようと思っています。あとは、ここをコアにして集まった人たちが、その後にどこかに繰り出すフック要素をどんどん取り入れたいです。ここでDJイベントをやっているのも、寄った後にミュージックバーに行こうかというきっかけになってほしいし、流しで盛り上がれば、カラオケに行きたくなったりしてほしい。そんな街の中でハシゴの役割、フックができたらいいなと思うんですよね。そのきっかけづくりの店になってほしいです。もちろん、ここがうるさすぎるな、と思ったらのんべえ横丁に流れていってもらってもいいですし。渋谷はそういったいろんな要素のお店がたくさんあります。だから渋谷のたまり場で、まず最初に集まる場所という役割は担いたいですよね。
―全国の名産品が大集結している渋谷横丁ですが、料理や食材のセレクトの基準はありますか?
食材は、全国のいろんな生産者の方と繋がっているので、その繋がりを生かすことを考えています。料理でいうと、居酒屋で一番出るものってポテトフライとか唐揚げなんですよね(笑)。そんなスタンダードなメニューでも地域ごとに違いがたくさんあるんです。ここはランチもやっているので、夜の呑兵衛だけのものではなくて、「今日は〇〇のラーメンを食べよう」といった、毎日がフェスみたいに感じられることが重要だと思っています。バラエティーに飽きられないように各地域ごとのメニューを豊富にしています。本来は、その地元のスタッフをお店にキャスティングしたいんですけど、なかなか集めるのが難しいです(苦笑)。
―渋谷横丁はコロナ禍でなければ24時間営業ですが、この大規模な飲食店で24時間営業はなかなかありません。もくろみはなんだったのでしょうか?
きっかけは、有楽町の店舗のオープンと東日本大震災です。
有楽町って昔から栄えている街なのですが、オフィス街が近くなので、旧態依然で土日も開いてるお店が少ない。ビルの地下の飲食店だったり、高架下も22時までの営業ばかりでした。そこで有楽町の店舗は、朝までやろうということでスタートしたんです。その翌年に東日本大震災が起こったんです。
震災が起こったことで、夜になかなか人が集まりませんでした。それならば昼も開けようと。でもお昼は、汁とご飯が美味しくなければ人は集まりません。そこで、精米機から米を精米しガス釜で炊いたり、食材にこだわった汁を提供することにしました。それでお昼も開けるんだったら、通しで24時間いつでも開いてる店をやってみようと挑戦して成功したのが始まりです。時代と逆行していますが……。
日比谷は土日にあまり人が集まらなかったのですが、徐々に目的来店で集まるようになり始めました。帝国ホテルやペニンシュラに宿泊されている方も、夜に横丁が気になって繰り出すようになったり、フレックスタイムのニーズがマーケットに合っていたんですよね。そこで得たことから、渋谷横丁もいつでも開いてて、なんでもある、ということが今のニーズに合っていると考えました。
今はなかなか来るのも難しいですが、海外のお客さんもいろんなきれいなものが建ち並ぶ渋谷の街で、この横丁みたいなものがあると物珍しさに寄ってくれると思うんですよね。僕らも海外に行くと、仕事終わりのビジネスマンのあとをつけて、地域密着型のお店に行ったりしてるんですけど、世界中どこにも“新橋のおっちゃん”はいるんだな、と感じています(笑)。
―それでは浜倉さん的な渋谷横丁の楽しみ方を教えてください。
まずはいろんな地方のものを食べてもらいたいですね。あとはお店の中にSNSにアップしたくなるようなものがたくさんありますし、イベントもたくさん発信していて、マルシェを開催したり、阿波踊りが前を通ったり、正月には獅子舞が踊ったりもします。そして、流しの人やマジシャンなんかが声をかけてくれたりもします。今はそんなところもなかなか気軽に体験できる場所がないので、そういった楽しさもあると思います。
自分が20歳の時にこういう場所があったらな、と想像してつくった場所なので(笑)、一見オジサンは入りづらいかもしれませんが、季節によっては外の席も呑んでて気持ちがいい環境なので、ぜひ来てほしいですね。土地柄を考えて各店舗ごとのお客さんを想定しているので、渋谷横丁を卒業したら恵比寿横丁に。そして、会社勤めも長くなってきたら有楽町にと、世代で行く店舗が変わっていいと思うんです。その土地土地で世代ごとに通過する場所でもありたいですね。
―渋谷横丁はどういったお客さんに来てほしいですか?
渋谷って若い方が多いんですけど、いろんな世代の方が交われるコミュニティーの場所になればと考えています。週末は家族連れで屋上の公園で遊んだ後に、お父さんとお母さんはここで軽く一杯やるとか。渋谷の“たまり場”を目指します。
―今後、渋谷横丁でやってみたいことやMIYASHITA PARKに期待することはありますか?
いろんな業態のテナントが入っているので、 違う形態のお店同士でイベントをやりたいですね。そして、公園イベント時には屋上に出張出店なんかも。店内サイネージモニターを入れてPRできる設備も揃っていますので、他のお店のPRにも使っていただきたい。そして路面なので、他のお店の売り場としてお互いがMIYASHITA PARKを盛り上げるようになれたらいいですね。
1年中フェスみたいな感じを味わえる場所として、ここでしか得ることができない情報を活用してほしいです。
―渋谷横丁は、場所的にもまさにMIYASHITA PARKの縁の下の力持ちだと思うので、今後も楽しみにしております!
浜倉好宣(ハマクラヨシノリ)
18歳にして初めて飲食店のリニューアルをプロデュースし、その後飲食企業各社の幹部で活躍した後、2008年に独立し、浜倉的商店製作所を設立。恵比寿横丁に始まり、都内の主要な街に多種多様な形態で飲食事業を軸にヒット店舗を生み出す。日本居酒屋協会会長も務め、栄誉ある受賞歴や、著書の発行も行う、日本のエンタメ業界を支えるひとり。
Photograph:Tomohiko Tagawa
Edit&Text:PineBooks inc