ローカルに合わせてスケートボードという文化を根付かせるinstant、本間章郎
1995年に千葉県・浦安市にスケートボードショップ、『instant』をオープンさせ、以来、日本スケートボード協会の競技委員を務めたり、雑誌でコラムを執筆するなどスケートボードという文化を日本により根付かせるために尽力してきた本間章郎さん。その裏には、スケートボードを単に競技としてではなく、人との付き合い方を伝えたり、ひとつのコミュニティとして成り立たせるために続けているという姿があります。本間さんの人柄が滲み出るショップ、instantは渋谷という街からどういったことを発信しようとしているのか。
僕らにはスケートボードがどれだけ楽しいかということを
伝えるミッションがあると思っている
現在、6つの店舗を営業するinstant。その土地に合わせて品揃えから、内装、接客なども変えているという。理由は、スケートボードを通して人と人とが繋がり合える社会を築きたいと考えているからだそう。オリンピックによってさらに多くの人から注目され、身近になってきたスケートボードのシーンをこれからどうしたいと思っているのでしょうか?
―instantは、これまで浦安や吉祥寺、他の店舗もいわゆる都心ではない場所で営業されています。このタイミングで、若者の街でありカルチャーの発信地である渋谷に新しい店舗をオープンさせようと思ったのはどういった理由だったのでしょうか?
「MIYASHITA PARKの屋上にスケートパークを作るから、出店しませんか?」と声をかけていただいたのがきっかけなんです。余談ですが、浦安が本店なので僕自身が浦安出身だと思われているんですけど、実はこのあたりが地元で、スケボーを始めた時は新宿のローカルでした。渋谷のやつらともすごく仲良かったですし。アメカジブームの時にそのチームの人たちと追っかけっこしながらこの辺を滑ってましたよ(笑)。なので渋谷店をオープンする時も、30数年前に一緒に滑ってたDISKAH(※スケーターでアーティスト)にポップアップをやってもらって。
だから、自然にそうなったというか一周してまた戻ってきた感じはあります。初めてinstantをオープンさせた時はこの辺だと友達がいすぎて、商売するとお客さんの取り合いになるとかも考えました。それもあって最初は浦安にオープンさせたんですよね。
―出店しませんか?と言われた時は即決されましたか?
そうですね、今は滑る場所がなさすぎるので。滑る場所があって、ショップがあって、そこにスケーターが集まってくることで、少しずつカルチャーが育っていく、というシステムの要素がすべて揃っていたので、すぐに返答しましたね。
―商業施設での出店となるので、他のエリアのショップと比べていろんな制限もあったと思いますが、この渋谷店ならではの特色はありますか?
このショップは端っこに位置しているので入口からの導線はすごくいいんですけど、形が歪なんですよね。図面では想像できなかったんですけど、竣工されるとガラス張りのショップで、どうやってものを並べようかなど考えました。
スケートボード屋のフォーマットとして渋谷店は、全然狭いとは思ってないんですよ。スケートボードの専門店なので、例えば売れそうだからからといってローラースケートを置いたりするわけでもないし、広くても同じものが増えるだけですし。コンパクトにすべてを紹介したいなと思うとこれくらいで十分なんです。
―屋上のスケートパークと連動していろんなことをやっていこうとオープン前から動きはあったのでしょうか?
もちろんありました。地域と連動してどうやって盛り上げるかを考えて。渋谷ってスケーターがすごく多くて、そういったカルチャーの本拠地でもあるので。今僕たちがアシックスさんと協力してスクールの活動もやっているんですけど、そこではテクニックを教えるだけではなくて、マナーやルールも一緒に学んでもらっています。昔はスケートボードってティーンエイジャーだけのものだったんです。でも今は5歳の子もいれば、60歳を超えてからスケボー始める人もいます。親子でデッキを買いに来て、子どもはやめちゃったのに親だけ続けている人とか(笑)。スケートボード自体の裾野が広がってバラエティに富んでますよね。
以前はスケートボード屋はマニアのためのお店で、雑居ビルの4階の暗くて狭いところでゴチャゴチャってしているイメージだったんですけど、「それじゃあダメだね」と僕らは話していました。いかに一般の人にスケートボードの魅力を伝えられるかがショップの役割だと思うので。もちろん、どのショップもスケーターは大事にするんです。でもそうじゃない人たちに楽しさとか魅力をどうやったら伝えられるかを考えて、内装などにも活かしています。
―そういう一般の方に興味を持ってもらうことに、今年のオリンピックでの日本選手の活躍は大きく影響したと思うのですが、その中で金メダルを獲った堀米雄斗選手を本間さんは小さい頃から見られていたと伺っています。instantでは、そのような未来の選手を発掘したり育成しているのでしょうか?
吉祥寺のお店では武蔵野市と連携してスクールを開校しています。そして、このMIYASHITA PARKのパークは、特色としてあまり平らな部分がないんです。なのでここではあまり高度なテクニックを教えるのではなくて、スケートボードの楽しさを伝えるためのスクールの活動をしています。加えて、スケーターだったらこういう考え方があるんだよとか、こういうマナーやルールがあるんだよ、ということも教えながら。ここで学んだことを活かして、またいろんなところで磨き合ってコンテストに出たりして競技として向上してくれたらいいと思っています。
―ここで楽しさを学んだ子たちが吉祥寺のお店に技を磨きに行くなどの連動が出てきたらいいですよね。
実際、昔からスクールに通ってた子が先生になったりしていますからね(笑)。常にスケーターって繋がっているから面白いんですよね。
―ではオリンピックでの日本選手の活躍も含めて、今の日本のスケートボードのシーンは、世界的にはどういった位置づけにあるのでしょうか?
オリンピックを見てもらった通りに日本選手は、競技では世界的にも強いとわかったと思いますが、今やアメリカ、ブラジルと並んで世界3強国のひとつです。それを追いかけて、フランスやオーストラリア、イギリスからも強い選手が出てきています。実は日本はオリンピックの開催が決まる前からずっと世界レベルだったんですよ。でも島国で言葉の壁もあって、なかなか海外に行こうとしなかったんです。なので日本人の上手さが伝わってなかったんですよね。
それがオリンピックでの競技が決まったことで、オリンピックに出るために日本選手は、いろんな世界大会に出てポイントを獲っていかなければならなくなったんです。そこで海外に多くの日本人スケーターが行くようになって、日本人ヤバくね!? と世界的に注目されるようになリました。
―そんなエピソードがあったのですね。では競技として今、日本は本当にレベルの高い位置にいると思われますが、スケートボードの文化としてはいかがでしょうか?
日本はスケートボード文化も独特なんですよ。クイックオーリーとか細かいマニアックな技を入れ込むような、ジャパニーズスタイルと外国人に言われるスタイルがあって。これは海外との交流が少なかったから生まれた日本独自のカルチャーです。そんなことを含めてスケートボードは、自由なものでいいと思います。自分のスタイルを表現するといったアートに近いものがありますから。
そして、スケートボードの街への浸透性は、まだまだ海外と比べて遅れているかもしれませんね。オリンピックでは見たけど、街にいるおばちゃんからすると、1枚の板に4個のタイヤが付いててガーガー滑るものでしょくらいの感覚でしかないと思います。いわば、カルチャー感があって「お前あの技できるの! スゲーな!」と思えるようなシンパシーを感じ合えるストーリーは、乗っている人にしかわからないこと。でも、そのストーリーをオリンピックでちょっと見てもらえたと思うんです。例えば、女子の岡本碧優選手は、本来は世界で一番上手いんです。でも決勝で失敗したときに、みんなが讃えるシーンがありましたが、あんなのは他のスポーツではなかなか見られる姿ではないですよね。あのシーンを見て、もっといろんな人がスケートボードに興味を持ってもらえたらいいなと。スケートボードに乗る人みんなが迷惑をかけているわけではないのに、ことさらスケートボードだからっていう目で見られている風潮はまだあると思うので。
―スクールでも教えられているマナーやルールが、少しずつ乗らない人にも伝わっていくといいですよね。
そうですね。だからスケートボードができる場所は絶対に必要なんですよね。スケートパークじゃなくても。そこにはスケボーが好きな人が集まりますよね。5歳の子もいれば、50歳の人もいて、良い人もいれば悪い人もいて、男性もいれば女性もいるわけです。そこで同じスケートボードっていう軸があって、いろんな人がいるな、この人どうなんだろうな、と考えていく過程があって世の中を知ることもできる。学校だと、同じ年の子と同じ場所に机並べて同じことを学んでいます。そこではコミュニケーション能力やクリエイティブなことはなかなか育たないと思うんです。スケボー大好きという安心感がある中で、ガッチャガチャにいろんな人の中で揉まれるとアーティスティックになり、クリエイティブになる芽が生まれると思うんですよね。だからそういう場所をどんどん増やしていこうと、ショップから発信し続けています。滑る場所を作ろう、というのはこれからも続けていきたいです。
スケートボードは、これから数年で国体の競技になったり、甲子園チックなスケボー部なんかもできてくるはず。ただ、やっぱりカルチャーはカルチャー、スポーツはスポーツ。同じになる時もあれば、まったく別なものの時もあっていい。それぞれのいいところを吸収しながら、スケートボードシーン全体が盛り上がっていけばいいと思うんですよね。
―このMIYASHITA PARKにはアパレルや飲食、雑貨屋さんやアートギャラリー…など、さまざまな種類の店舗が入っていますが、スケートボードショップは異色のお店に感じられます。施設全体の中でinstantはどういった役割を担っていきたいですか?
異端でいいとは思っています。生意気なんですけど、他のショップと迎合しなくてもいいと考えてもいて。僕らにはスケートボードがどれだけ楽しいかということを伝えるミッションがあると思っているので。もちろん、いろんな方に協力してもらいながらですけど。例えば、こういったヴィジュアル(店頭の壁にスケートデッキが並んでいるところを指して)を作れるお店は、他ではなかなかありません。そういったことはこれからも提示し続けたいですよね。
Instantは今、6つの店舗があるんですけど、それぞれ全然違うんです。お店のヴィジュアルから、扱っているアイテム、店員のスタイルまで。なぜ違うかというと、やっぱりスケートボードはローカルであるべきで、そのローカルに合ったものをそれぞれのスケートショップとして提案していきたい。なので、この渋谷店には知識があってスタイルもあって、フラッと入って来られたお客さんにも丁寧に対応できるスタッフがいます。そして、店頭に並ぶスケートデッキはどんどん入れ替わるので、来るたびに新しく目に映ると思うんです。そういう楽しさもこの渋谷店では意識したポイントです。
―各ショップごとに特色があるとおっしゃられましたが、渋谷店ではどういったお客さんに来てほしいですか?
インストアなので、MIYASHITA PARKに来たお客さんにスケートボードの楽しさを教えたいと思っています。実はスケートボードをまったく知らない人がここを通ると、「スケートボードってこんなふうになってるの!?」「板だけで売ってるんだ!」といったことが聞こえてきます。なので、スケートボードってこうやってパーツを選んで作るんですよ、と専門店として伝えたい。それもあって、極力できあがったスケートデッキは取り扱わないようにしています。デッキのグラフィックひとつとっても、ブランドやアーティストごとにできるまでのストーリーが違うので、そのことも知ってほしいので。だからアートギャラリーと変わらないかもしれませんね。
―今後、他の店舗ではできない、渋谷店ならではのやってみたいことなどありますか?
コロナ禍でいろんなことがサスペンド(停滞)してしまったので、やってみたいことはいっぱいあるんです(笑)。渋谷は、知り合いというか友達のアーティストや仲間たち、プロライダーがたくさんいて、ブランドもたくさんある街。なのでオープンの時にDISKAHとやったポップアップみたいなこともどんどんやっていきたい。すぐに予約で満員になってしまうんですけど、毎週日曜にはパークでスクールをやっているので、シューズからヘルメット、パッドにデッキとすべてレンタルできるので、興味のある人は気軽に体験してみてください。まずはスケートボードの楽しさに触れることから始めてもらえると嬉しいです。
本間章郎(ホンマアキオ)
東京都世田谷区の出身で、1980年代のスケートボードブームに魅了され、その虜になる。1995年に千葉県・浦安にスケートボードショップ、instantをオープン。現在は関東を中心に6店舗が営業中。全日本スケートボード協会の協議委員としてコンテストMCを務めたり、雑誌ではスケートボードのHOW TO企画やコラムなども連載し、日本のスケートボードシーンを支え続ける功労者。
Photograph:Tomohiko Tagawa
Edit&Text:PineBooks inc